震災から1年、ワシントンポスト紙が富岡町の特集を組みました。
桜で有名なワシントンからの要望で実現したものです。
簡単に直訳、易訳したので、わかりにくい所もあるかもしれません。
明らかな間違いがあったら指摘して下さい。

A Japanese town once famous for its cherry blossoms now sits empty

福島第一原子力発電所から、数マイルにある富岡町は桜の木で有名な町でした。桜の木は街並に沿ってピンクに咲き乱れ、校庭や公園にも集約され、ゴルフコースの境界でも咲き、主要道路にもたくさんありました。さらに原発で働く人が通る浜街道、町の北側にも植えられていました。

日本人は「さくら」と呼び、毎年、その美の儚さをの中で生

きてきた。春の桜は南から徐々に北上し、毎年何百万人の人々が、さくらの木の下で花見を楽しんでいます。2週間くらいで花は散り、花見の季節は終わるが、日本人は国の象徴である、この束の間の自然とともにある。

しかしこの年、富岡では東日本大災害と原発事故によって花見ができず、桜は富岡の人を悲しい感情にさえさせる。富岡町は誰も住めなくなり、桜はさいていても、誰も見ることが出来なかった。

福島第一原発での3つのメルトダウンをきっかけに、政府は原発の周辺20km圏を立ち入り禁止にした。
富岡はその範囲内で、主要道路がゆがみ、放置されたまま。いくつかの建物はマグニチュード9.0の地震で倒壊した。人々が帰れるようになるには、政府は5年はかかるという。

多くの富岡町民にとって、さくらの季節は最も好きな季節で、役場の人の名刺にも桜のマークがあった。桜祭りは音楽の演奏や屋台などで埋め尽くされ、毎年10万人以上の観光客を集めた。10年前、町は300人以上の桜についての思い出が書かれたエッセイをまとめた本を出版した。

「町は本当に一面の桜でした」と大島みな子さんは言った。3.11の前に彼女は富岡の観光協会で働いていた。富岡のセールスポイント「桜」は彼女の生き甲斐でもあった。時には桜染めのスカーフを身につけながら。

彼女は町の歴史を話した。1900年頃、大地主の半谷しゅうじは町に数百本の桜を植えた。その子息は更に1000以上植え、道路の両側に植えて桜のトンネルを作った。その桜は道路上でアーチのように見えて、住民はさく通りと呼んだ。この通りが富岡で最も有名な通りになった

桜祭りの時期、大島さんは仕事のあと、家族の食事を作る為に桜のトンネルを通って帰る。木々の下に設置された照明でライトアップされた桜は忘れられないピンクの輝きだった。「夜の桜はとっても綺麗でエレガントです」大島さんの娘も町が出版したエッセイに寄稿した。

現在、家族が皆帰れるかどうかわからないという。今は茨城県にある小さなアパートに住んでいる。「いつか子供達が故郷に戻り、桜の木を見る事ができますように」昨年12月に友人に送ったクリスマスカードに、彼女はそう書いた。しかし彼女は現実的な帰郷はわからないという。彼女の夫は建築家で、すでに東京で仕事を見つけました。5年後、除染に成功したとして、夫は今の仕事を続けたほうがいいのではないか。

「予想するのは難しい」という「水道、電気など、どのようにインフラを復元するのか、スーパーや病院、コンビニもなく、最低限のライフラインを復元するのには、何年もかかるでしょう」

ある日、2008年に富岡で作成した桜の観光スポットの地図をとりだした。しかし、この時彼女は放射線レベルについて話した。日本政府は20km圏を警戒区域にし、そこは年間20mSv以上の放射線を浴びてしまう。富岡はそれ以下の地域の方が少ない。「町は基本的に3つの部分に分かれます」と警戒区域の見直し案を指摘した。彼女の家は帰宅困難地域にある。

富岡町の住民は郡山や福島などの避難所で過ごした。避難所では一時的な役場を設置し、少しプライベートな空間を作る為に段ボールの区切りを作った。避難者は決まった時間に食料の配給があった。

昨年4月、役場で胸に桜の花をかたどったピンクのロゴがあるTシャツ50枚が送られた。ロゴには “Don’t Forget. Return to Tomioka.” とあった。それは富岡出身のグラフィックデザイナー関根茂樹さんが作成したもので、同じデザインで数千枚のステッカーを配布し、日本はもとより、ニューヨーク、ロンドン、台湾でも配られた。

数ヶ月が立ち、関根さんは富岡にすぐ戻る事は現実的でないと考え、メッセージを “We will support Tomioka”に変更した。しかし彼は最初のメッセージを捨てはしなかった。富岡には戻れなくてもそのステッカーは心の支えとしてあり、富岡を正常に戻すよう努める必要がある。

線量や補償金についてではなく、子供達と会話をするをする事が大事。

1年経って、町は正常に戻ったのか?

関根は言った「近い将来、人々が桜をみて、悲しくならない日がくる事を願っています。さくらは平和な日常の印です」

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